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近藤幹生さん

(白梅学園大学学長)

―今回の幼保無償化からの外国人学校幼児教育施設の除外について、どのように思われますか?

 そもそも幼保無償化は就学前のすべての子どもを対象にした制度です。国は各種学校は「多種多様な教育をやっているから認められない」といいますが、今や日本は、様々な文化や言葉を持つ多様性社会。外国籍の子どもたちは、言葉や食生活など文化の違いがありますが、保育の現場では互いに交流を重ね、視野を広めていくなど、いろんな展開ができるはずです。

 日本における外国人登録者数は256万人(2018年末、法務省統計)で、全人口の2%を超え、外国籍の子どもは、日本の保育園や幼稚園にも増えている。また、外国籍の方々は幼保無償化の財源である消費税も負担しています。日本社会の多様性は、今日本が一番に光を当てなくてはならない現実であることを考えても、幼保無償化から外国人学校幼児教育施設を対象外にする理由は見つからない。視野を広げ、豊かな遊びや保育を展開していく、という保育本来のあり方からしても、幼保無償化からの除外は、あるべき姿からかけ離れた方向性だと考えます。

一番の問題点は、国連の「子どもの権利条約」に相いれないということです。条約は2条で「差別の禁止」を謳っており、幼保無償化からの除外は明らかな条約違反です。
 日本政府が1994年に同条約を批准し、25年が経ちました。2016年に改正された日本の児童福祉法には「児童の権利に関する条約の精神」がやっと明確化されました。日本国内を見ても子どもたちを取り巻く保育は十分な体制が整えられていませんが、「子どもの権利条約」に基づく保育のあり方が国レベルでやっと考えられるようになった。
 今、朝鮮幼稚園や外国人学校幼児教育施設の方々が、幼保無償化への適用を求めて熱心に運動をされています。世論にこの事実が伝わっていけば、応援してくれる人はたくさんいます。この問題が日本社会の課題であると訴え、運動を広げていくことが大切です。私も講演会や研修会、原稿執筆を通じて、この差別を発信していきます。

―近著「保育の自由」で指摘されているように、日本の保育現場を見ながら危惧されている点についてお聞かせください。
 この間、日本の国、自治体では保育施策の大きな変更が打ち出されました。15年には「子ども・子育て支援新制度」が開始。長い間、課題とされてきた待機児童問題の解決を目指して新制度が始まったのです。18年には、乳幼児期の保育・幼児教育の内容に影響のある、保育所保育指針や幼稚園教育要領が改訂・施行されました。しかし、現場では課題の解決に向かうよりも、むしろ様々なマイナスの影響が出ています。
 元々日本には保育園と幼稚園の歴史が長くありましたが、現在は制度自体が複雑になっています。07年には親の労働の有無を問わずに預かる「認定こども園」が登場しました。16年から始まった国主導の企業主導型保育所は政府直轄で、数は増えているものの定員割れの施設も出てきており、健康診断がされていないなどの問題点があります。このような施設も今回の無償化の対象です。
 10~20年前からの流れをみると、保育の需要が増え続けているにもかかわらず、幼稚園の数は減り公立保育園は民営化されている。認可保育園をしっかり増やしてくれれば親たちの要求にもかなうし、子どもたちが十分活動できるような庭も整備し、基準に見合う保育士も揃えられるのですが、国はそのような方向は取らずに「認定こども園」(保育園的機能、幼稚園的機能はある。子ども園は法的には、こども園)や、駅の沿線に小規模保育施設を急速に増やしています。1、2歳児を保育する際の「6対1」という国の職員配置基準もまったく改善されず、新しい施設に関しては基準がどんどん下がり、子どもの安全が保障されていません。子どもを育てる親御さんたちは、国の待機児童対策の中で右往左往させられてしまっている。
 この状況を改善するためには、第一に、きちんとした認可保育園を増やしていくと同時に、今あるさまざまな施設の条件を良くしていくことが必要です。2点目は保育士の処遇を飛躍的に改善することが課題です。
 また、ここ数年、保育現場では、「して良いことや悪いことのきまり」―いわゆる道徳的なことを押しつけようとする傾向が特に目立っています。幼児期の子どもは、友達同士で一生懸命に遊びながら自己主張したり、時にけんかをしたり言い合いをします。相手に怪我をさせるのはよくないですが、子どもはぶつかり合って初めて相手の立場を考えるようになります。ルールに反することを見ながら批判する力が育ち、自分で考えていく。けんかを通じて子どもたちが育っていくのです。このようなことが一番大事なはずなのに、何か、して良いこと悪いことを上から押し付けていく傾向が見えます。
 例えば今回初めて、国の保育所保育指針に国旗や国歌について盛り込まれました(※)。ちょうど森友学園の問題が起きたときです。国旗・国歌をどのように考えるのかは、人によってそれぞれいろんな立場があって自由なもの。保育者が上から教えていくもの、という方向性をとても危惧しています。

日本の保育現場は、働く保護者や子どもたちの健やかな生活のため、尊い営みを続けてきました。保育の現場で必ず失ってはならないものは、どんなことだと思われますか?

 私は保育や幼児教育の役割は3点あると思っています。1点目は、学校に上がる前の子どもの成長や発達をきちんと保障する、2点目は、そのことを通して子どもを育てる親たちの仕事や家庭生活を支えていく、3点目は、保育施設に入っていない親子への子育て支援。少子化、高齢化が進む社会で、幼稚園や保育園があることによって、地域や街が作られていく。そのくらい大きな、大事な役割を担っていると思います。

「保育の自由」という基本的な考え方を確かめてほしい、と近著で主張されています。
 「保育の自由」とは、保育者たちが目の前の子どもたちと共に作り出していく保育の営みです。子どもたちの願いを受け止め、親たちと自由に議論したり話し合う。園としては、保育の理念、目標や方針があり、立ち返りながら保育のあり方を議論していく。保育者や地域社会の人たちとの信頼関係を大事にしながら保育を行っていく。都市部、農村部によって保育の形は違うだろうし、それぞれが特色をもって、保育を進めていくなかで、「もっとこんなことをしたら良かったんじゃないか」という振りかえりや反省をあたり前のように重ねていく。つまり、「保育の自由」は、保育者たちが毎日判断をしながら保育を創造する営みです。どのような保育をしていきたいのかが、保育者による自主性に任され、自由であることは、保障されなくてはならない。しかし、近年、保育や幼児教育の中身としてこれをしちゃいけないとか、こういうふうにやらなくてはならないということが、かなり強まっていると感じています。今後、しっかり学び考え合いましょう。

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