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朝鮮幼稚園への幼保無償化を求める関係者たちの活動は、昨年夏から不断に行われてきました。

仕事を調整し要請に初めて参加した保護者や、まだ幼い子どもの手を引き集会の場に訪れた保護者など、昨年以降、支援の輪がどんどんとひろがるその中心には、朝鮮幼稚園教職員や保護者をはじめとする人々のたゆまぬ活動があります。
関係者たちはあの時、何を思ったのか。彼彼女たちの経験談とともに率直な思いを紹介していきます。

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つなぐ経験

~関係者たちはあの時、何を思ったのか~

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いま9月、運動会のシーズンだ。
今年はコロナで時間が短くなったり、見に行ける人数が制限されたりと限られた中ですが、子どもたちは青空の下で、精一杯練習を頑張っている。下の子は年中ですが小さい体で大きなフラフープを50回も回せるんだと得意げに家で見せてくれる。そんな姿が本当にかわいくて、朝鮮幼稚園でのびのびと育っているのだと実感する毎日だ。補助金のこと、無償化のこと、もう一度考えてみた。私がまだ母親になっていない頃の話だが、ある日本の高校を訪ねたとき、高校無償化制度について紹介するこんなポスターを見かけた。「社会があなたの学びを支えます」
その「あなた」の中に朝鮮学校の子どもたちが入っていないことに対して、本当につらい思いをした。それは今もずっと続いている。社会からのけ者にされたという事実をまだ理解できない幼い子を持つ親として、どれだけ悔しくてどれだけ悲しくてどれだけやるせないか。まるで社会の中で透明人間扱いされているようだ。

でも私たちはこの国で生まれ、育ち、生活して大阪の、大好きな大阪っ子として生活している。社会は子どもたちを未来の宝として一生懸命育てていると思う。その子どもたちの中に私たちの朝鮮学校に通う子どもたちもいる。ハングルの言葉で歌う歌や日本語で歌う童謡の歌、どちらを歌っていても私の子どもはとてもかわいい。でもこの日本社会の中で朝鮮人、在日朝鮮人としての自分をありのままに受け止めてくれて、それを肯定する心を養ってくれる場所は今、朝鮮学校、朝鮮幼稚園しかありません。朝鮮の子どもたちが朝鮮人としての心を育む場としての大事な朝鮮学校。それを政治や行政が、社会の豊かさの一つとして、しっかりと大きな器で受け止めてくれることを強く強く求める。

北大阪初中付属幼稚班保護者・金亜紀さん

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私の住む自治体でも、ウリユチバンが幼保無償化から除外されているのはもちろん、ユチバンに対する補助金制度などが全くない。未来を担うオリニたちに差別のない社会で、堂々と「チョソンサラム」として生きてもらいたい。これを心の糧にしながら、今、行政への要請活動に拍車をかけている。
まずは1人の近所のママ友から。それが今では、300名ほどの日本の方が署名活動に賛同して頂き、尚且つそのご縁から理解ある市議の賛同のもと、首長への直接的な働きかけが実現した。無償化適用への道のりは平たんではありませんが、私たちの、想いはきっと伝わる!!そう信じて、現在、署名活動と共に、自治体への働きかけをたゆみなく行っている最中だ。日本の有志の皆さんに感謝しつつ、これからも私達が一致団結し、オリニたちの明るい未来のために戦い抜いていこうと思う。

福岡初級付属幼稚班保護者・白瑠衣さん

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朝鮮幼稚園に通う娘は毎日のように朝鮮語の歌や踊りなどを習ってきて楽しそうに披露してくれる。
娘は以前認可保育園に通っていました。そのまま認可保育園に通っていたならば、幼保無償化の対象になっていたはずです。朝鮮幼稚園に転園したからといって無償化の対象から除外されるのは到底納得できない。
3〜5歳の幼児教育・保育は「原則無償化」とされるなか、通う場所によって対象から外されるというのは差別ではないのか。
朝鮮幼稚園の子どもたちも日本社会の未来の担い手だ。どこで学ぶかに関係なく平等に接してほしい。

名古屋初級付属幼稚班保護者・玄裕姫さん

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2010年から実施されている高校無償化制度で朝鮮高校だけが除外された。依然除外されたままの現状に対する憤りが冷めるまもなく、これまで我慢に我慢を重ねてきた私たちに朝鮮幼稚園が幼保無償化から除外されるという更なる試練が訪れた。
国の差別により子どもたちを傷つけ、その子どもたちの希望や未来を奪うことは決して許されるものではない。
キラキラした瞳で朝鮮の歌や踊り、文化を習う子どもたちの幸せ、ひいては世界のあらゆる子どもたちの幸せを守るのは大人がすべき責務だ。
一日も早く私たちの夢や希望である子どもたちが、自由に世界を羽ばたける日が来る事を願うばかりだ。

南武初級付属幼稚班保護者・李珠実さん

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私は兵庫県明石市に住んでいる。近隣の日本の方々は、わが子を見かけるといつも温かく「いってらっしゃい」「おかえり」「いつも元気やね!」と声をかけてくれる。正確にいえば、朝鮮幼稚園に通う我が子に「も」だ。そんなとき、子どもの成長を一緒に見守ってくれる日本の方々に、私は感謝の気持ちでいっぱいになる。
そしてふと考える。でも、国はなぜ?
日本という国は、なぜ子どもたちの学びの場を奪おうとするのか。それは親である私たちにとってそして子どもたちにとって、とても悲しく辛いことだ。
地域での異文化交流など、あらゆる形で多種多様な保育が積極的に行われる今の時代、自分の国や民族の言葉や歌を学ぶことが、多種多様なことがなぜいけない事なのでしょうか。
そんな理由で一部の施設だけが幼保無償化から除外されるのは適切なのでしょうか。
どうか、子どもたちに平等な学びの場を与えてほしい。

神戸初中付属幼稚班保護者・李紗香さん

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