top of page

 安倍首相は昨年10月の所信表明演説で、みんな違ってみんないい、これからの日本に求められるのは多様性などと述べた。多種多様な社会を目指すと言いながら、一方で実態調査も行わないまま「偏った教育を行っている」との理由で朝鮮幼稚園をはじめとした外国人学校を幼保無償化の対象から外した。言っていることとやっていることが明らかに矛盾している。キリスト教ではこれを「偽善」と説く。
 高校無償化からの除外、埼玉朝鮮幼稚園の園児らに対するさいたま市のマスク不配布… 政府、役所などの「お上(かみ)」が積極的に朝鮮学校差別に加担している。
 長年、ボランティア活動に従事する中で、阪神・淡路大震災以降のここ25年の間にボランティアの3つの柱である「無償性」「対話性」「自発性」が「お上」の介入によって失われ、「公共」(パブリック)は民衆からという概念が変質した。「公共空間」が民間のものから「お上」のものになりその在り方がゆがめられた。政府、官僚、財界をはじめとした「お上」などが右に向けと言えば、国民は守ることが正しいと無批判に思い込んでいる。「上」からの差別と、「下」からのヘイトスピーチで少数者の人権はないがしろにされている。
 日本の政教関係の歴史をたどると、「公共宗教」を日本の土着の宗教である「神道」のみにして、近代国家を作り上げようとした。明治に始まった国体思想は「大日本帝国憲法」と「皇室規範」に基づいて全国民を天皇の「臣民」として支配下に置いた。「穢多・非人」、「アイヌ」、「琉球」、「在日朝鮮人」は近世的身分制の中で最下位に位置付けられた。
 明治6年発行以降の有司専制は身分制における貴賤観を一貫して持ち続けている。平等、身分制撤廃、基本的人権を口で言いながら、一方では「差別問題」などが社会レベルで根強く生き続けている。天皇を貴い存在とするには、賤しい存在が必要だからだ。アイヌ、琉球、そして在日朝鮮人も最下層として、人を人として扱わない政策が続いてきた。朝鮮学校差別に関しては、過去に国連人権委員会は日本政府に6回にわたり厳しく勧告してきた。2019年2月には国連子どもの権利委員会が日本政府は朝鮮学校をほかの外国人学校と同等に扱うべきだと記者会見の場で述べたが、いまだに差別は是正されていない。
 神戸国際支縁機構はさまざまな国に赴きながら孤児たちの支援をする過程で、言語教育の重要性、向上心について感じることが多い。母国語を勉強するとき、はじめて民族的アイデンティティーが覚醒する。一方、3世、4世が母語を学ぶことはその社会で主体的に生きていくうえで大事な条件だ。朝鮮学校ではその両方をしっかりと教えている。バイリンガル教育を身につけながら、民族性を育み、高等教育に寄与している。日本、世界において有為たる人材を輩出し、権利の主張、平等への向上心への導線となろう。日本社会で多文化共生、多様性を率先して実現していることは日本の学校教育では培えない傑出した教育課程である。こうした学校が増えることが国際的に日本の孤立化を防ぐ良き先例にもなろう。

有識者の声.png
岩村義雄.jpg

岩村義雄さん

(牧師、神戸国際支縁機構理事長)

bottom of page