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池辺幸惠さん

(平和のピアニスト)

 2012年の「4月の春・親善芸術祭典」で初訪朝し、そこで、自作の「アリラン変奏曲」を演奏してグランプリの賞をいただいた。「日朝音楽芸術交流会」の故・小笠原美都子名誉会長と、金日成主席の生誕100周年を迎えるその年に、必ず一緒に平壌に行こうと約束していたのに、小笠原先生はグループホームの職員に「国交のない国には行かせられない」と止められてしまった。結局先生の訪朝は叶わず、私と「日朝音楽芸術交流会」の遠山洋子副会長と2人で行ってきた。
 平壌の街は、日本の報道で聞くのとはまるで違って素晴らしかった。そこで出会った人たちも、素朴で誠実で優しかった。印象深いのは、移動中のバスの中で通訳の人が、小笠原先生が作詞した「平壌慕情」を歌ってくれたこと。言葉は通じなくとも、私たちは歌で心を交わした。帰ってからも、SNSを通じて、実際に見て、感じた朝鮮について発信している。コーラス仲間とも、朝鮮語で歌ったり、一緒に平壌へ行こうと積極的に声をかけている。
 昨年、享年100歳で亡くなられた小笠原先生の遺志を継いで「日朝音楽芸術交流会」の会長を務めているが、皆に名乗る際には「平和のピアニスト」だと言っている。それはずいぶん前からのこと。01年に米国で起きた「9.11同時多発テロ」がきっかけだ。
 テレビに映る同時多発テロのようすは、とても異様に感じられた。しかしそれ以上に異様に感じたのは、テロ事件後、当時の小泉純一郎首相が、米国のブッシュ大統領が打ち出した「テロとの戦い」にすぐさま支持を示したこと。それまで政治や外交について何も知らなかった私でさえも「日本がなぜそんなことをする必要があるのだろう、どこまで米国に付いていくのだろう、これはまずいな」と直感で思った。そうして政治集会に顔を出すようになったのだが、その過程で、自分がいかに戦争について無知であるかを思い知った。以降、一生懸命勉強して、スクリーンの映像を製作し、ピアノと歌と映像の”平和コンサート”を開催してきた。小笠原先生とのご縁も、ともに政治集会に参加していた仲間とのつながりからだった。
 レイシストたちの朝鮮学校への差別的言動、高校無償化や幼保無償化制度からの除外など、朝鮮学校に対する差別が続いている。そんな今の日本の状況を見ていると、この社会の深いところにはいまだに軍国主義がすり込まれているように感じられて恐ろしい。関東大震災のとき、流言飛語によって数多くの罪なき朝鮮の人たちや部落民たちが「自警団」によって数千人も撲殺されたことが証明しているように、軍国主義は人間を鬼にしてしまう。
 だからこそ、立ちすくんでいてはいけない。どんどん声を上げなければ。私は自分の持ち味の音楽を通して、朝鮮や在日の皆さんに対する社会の偏見をなくしていきたい。「100万人署名」も力の限り集め、皆が平和に暮らせるよう貢献していきたい。

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